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SAKUMA TATSUMI

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昭和38年(1963年)生まれ
三宅村議会議員(当選三回)

三宅島生まれで三宅島育ち、正真正銘の田舎者。

地元の高校を卒業後、三宅村役場に運良く就職(自分は運がいいと思う)。三宅村議会事務局の書記として職場をうろうろする毎日を過ごしていたが、昭和58年(1983年)の噴火による溶岩流で実家を埋没。2年間の仮設住宅生活を経験後、一念奮起して実家を新築(自立再建)。これを期に脱サラ(けしてクビではない)。家業を継いで”お好み焼き屋”のアンちゃんになるも、そう世間は甘くはなく、やがて生活が苦しくなる。そんな時に「三宅島自動車サービス工場(自動車修理工場)」に、これまた運良く拾われ(つくづく自分は運がいいと思う)なんとか家族にご飯が食べさせられる。

そんな私の望む”平凡な生活”も長くは続かない(く自分は運がわるいと思う)。平成4年(1992年)の三宅村議会議員選挙に無謀にも担ぎ出され(いま思えば、若い者なら誰でもよかったのだと思う)幸か不幸かトップ当選という華々しいデビュー?を飾る。その後も皆さんの期待と支援に応えられないまま議員活動を続けていたが、三回連続当選を期に、独立して中古車販売業を開業したそのとたん、平成12年(2000年)夏の噴火によって島外避難を余儀なくされた(つくづく自分は運がわるいと思う)。

いまは八王子市上柚木の避難住宅で、妻ひとり(当然か)・一男・二女・母とともに6人で”ひっそり”と暮らしている。

しかしそういった平穏な生活を願いつつも、出たがりな性格がそれを許さず(私自身は”まわりが許さない”と勘違い)、まわりの人に迷惑をかけながら、今日も大東京を東奔西走(うろうろ)している。

避難生活から1カ月が経過した10月以降は、あきる野市にある秋川高校内に置かれた寮制三宅村小学校がかかえる問題の早期解決を最優先課題として、11月の1ヶ月間には、秋川へ18日通った。(学校へ通うのは学生時代以来だが、現役の時よりも真面目に通った気がする)
12月8日に衆議院第二議員会館でおこなった院内集会「三宅島噴火災害報告集会」の呼びかけ人のひとり。

インターネットは10月下旬から始めた(”させられた”が事実)ばかりだが、毎晩、数百通のメールにぜんぶ目を通している。目を通すだけでやめればよいのだが、つい返信してしまって朝を迎えてしまうことも多い。つくづく1日は30時間にならないかと真剣に考えながら1日が過ぎていく毎日が続く。