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2001/08/01
地震研究所共同利用研究集会「火山情報と災害危機管理」
〜佐久間達巳講演内容

(2001年7月24日 東京大学地震研究所第一会議室)

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三宅島村民の 佐久間達巳 です。 

生まれも育ちも三宅島という田舎者ですが、昭和58年の噴火で家屋財産を埋没した経験があります。その後に、自力再建という形で家屋も新築したわけですが、今回の噴火により現在は都内の八王子にて避難生活をしております。 よろしくお願いいたします。

なにぶん、こういう場は不慣れでありまして、しかもきょう聞かせていただいたお話はどれも私にはむずかしかったですが、お話をうかがった感想を交えて、いただいた20分を使わせていただきたいと思います。

成功した有珠と、早くも失敗が指摘されている三宅ではありますが、今後に繋がる何かをこの機会に捕らえて帰りたいと考えております。


まず、噴火活動が開始されてから、全島避難に至るまでの日々を思い出してみます。

突然の緊急火山情報が出されたのを知ったのは、村の防災無線ではなく、テレビでの二ュース速報でした。

このような地元自治体への連絡より先にテレビなどのニュース報道が出る現象は、1989年の伊東沖の噴火でもそうだったと聞いています。

報道各社への伝達をすみやか確実にすることは望まれますが、地元自治体への気象庁からの連絡も、すくなくとも同じ程度に速やかに確実にしていただきたいと思います。

話を戻します。
このとき、私は役場近くの商工会館で会議をしておりましたが、まったくの前兆のない中での知らせであったために、その場にいた島民の多くは「何かの間違い?」だと思っていました。

たまたま役場が近かったために、私は確認のために向かいましたが、その時点では職員は残務で残っていた総務課の職員が1名だけで、当然ながら緊急火山情報の件は知らずにいました。
三宅の測候所に確認の連絡をしたのは私でしたが、「なぜ防災無線放送をしないのか」と逆に怒られる始末でした。いまに思うと、たぶん警備員の方が連絡を受けていたのかも知れませんが、いずれにしてもその時点では、まったく情報伝達が機能されていなかったということがいえます。

その後、地震が感じられるようになり、噴火が始まろうとしていることを認識するのですが、昭和58年当時には噴火が確認されてから防災無線で知ったということから比較して、噴火予知というものの進歩に感心と感謝をしたものです。

しかしその後、避難所として設置された伊豆地区の小中学校にて3日間を過ごしましたが、予知連の見解とは逆に、地震が次第にひどくなる中での避難解除には、多くの島民から不安と不満の声が聞かれました。

実際に避難解除の知らせが届く少し前に、それまでで最大の地震がありました。

噴火予知連と地震予知連の守備範囲について私は良く理解していませんが、少なくとも現場の把握がなされていなかったために、安易に避難解除をしてしまったものと判断せざるをえません。

また夜間に避難解除をして暗い中を帰宅させるという判断自体も大きな疑問として残ります。
マグマ貫入があったとされる私の居住する西側のある家屋は、地盤の変形により家屋が倒壊寸前であったため、やむなくまた避難所へ引き返すということになりましたが、この被害調査も完全でない中を帰宅させたわけですから、防災という面では、とても合格とはいえないものでした。

さて、その後の経緯は、きょうこれまでの諸先生方のお話であきらかですので割愛させていただきますが、危機管理に対する疑問という面から、いくつかの提案をさせていただきたいと思います。





1)情報の収集不足のために,適切な判断ができない

実は私はインターネットをはじめたのは避難後の10月からであります。それまでは三宅に関する情報がこれだけ多くあったとは思いもよりませんでした。

当時、まだ島でのパソコン普及率はかなり低いものでしたので、当然ながら情報の収集は困難な状況でありました。

そんな中での噴火に関する情報は、気象庁からの発表以外にはなく、それも役場から島民に書面での周知は1回だけという惨憺たるもので、しかも内容が8月18日の噴火後にもかかわらず「島外に避難すべき段階ではない」という、いまから考えれば非常に恐ろしい判断でありました。人命が失われなかったことだけが救いであります。

役場など公的な機関の情報収集能力の欠如は言うに及ばず、都と村のやりとりだけで判断した結果が今回の島外避難の遅れに繋がったことは事実と言わざるをえませんが、気象庁としても予期せぬ噴火活動が起きてしまい、幸か不幸か、人的な被害がなく乗り越えてしまったために、緊急火山情報を出すという判断を下すタイミングを失ってしまったのではないのでしょうか。

しつこいようですが、人命が失われなかったことだけが救いであります。
しかし反面では、そのことにより問題点が浮き彫りにされずに現在にきてしまったものであるという点にも、再認識と改善をされるように、強く望むものであります。

噴火後の分析から判断して、火山情報の修正をするなどの改善をしようとしなかったことに対しては、大きな不満を現在も持っています。

しかも今の段階に至っては、避難した根拠が、緊急火山情報に基づく避難であったかが、今後の我々島民の将来に大きな影響があるという認識を持っていただきたいと思います。

我々が勝手に、個々の島民の判断で島外に避難をしたということではないという根拠が必要ということであります。





2)弱小自治体の首長判断は事実上はできない

8月18日の最大噴火は、多くの島民の考えを大きく変えました。

一部地域だけでなく、全島地域に対して被害をもたらしたこの噴火により、生命に対する危機を訴える島民の対して、村長の下す判断は何故か本音とは逆でありました。
 
私も三宅村の議会内では村長の与党議員として、早い時点から島外避難を判断するように要請していたわけですが、村長自身が「危険」と判断しながらも、東京都という上部団体との調整がつかず、行政への不満を口にしながら自主避難をする島民を送り出す心境は、例え様のないほどの無力感を覚えたのを今でも忘れられません。

私は職務として残ることにして、家族5名は、20日には島外に避難させました。

当時、火山学が予想しなかった事態が進行しているということは、島民の認識にはなく、現場で肌で感じるものと、気象庁の見解がズレてきたため、判断材料を失った島民の個々の自衛策として、島から離れると判断したものだと思います。

今回の場合は島外避難という手段が最終的にとられたわけですが、最終的な決定権者である村長であっても、それにかかる経費や受け入れ対策などを考えていくと、この壁を越えて判断をするその基準は「予知連見解」および気象庁の発表であったことは、その後の村長はじめ都知事会見でも明らかであります。

またこのような判断の基準にされていることを、おそらく予知連の先生方は承知していたものと思いますが、歯切れの非常に悪い発表と最後まで出なかった「緊急火山情報」に、いまも島民が抱いた不信感を拭うことはできません。

委員の一人ひとりの方々は危険性を認めていながらも、未知の噴火活動ということから根拠を出せないというだけで、人命に関わるであろう噴火に対しての指摘を具体的に示さなかったことは、人命最優先という社会通念とはかけ離れた判断であったわけで、ここでも人命が失われなかったことが救いであったと言わざるをえません。

法律では避難などの指示決定権を与えられていながらも、弱小自治体であるがゆえに判断ができないということがないような法の整備が必要です。 さらに,その判断根拠となる学術的見解・将来見通しも、幅をもった形での提示が望まれます。

その点では、8月29日の火砕流が発生したと後に認められた日に、島の視察に来ていただいていた予知連会長の井田先生が、現地で行った行政との懇談の席上で話された「島民の生活も大事だ。しかし防災上は大変危険であると考えるので、人生命優先で考えるならば避難したほうがよい」という内容の発言が、村長の島外避難を決断する判断になったことは幸運でありました。 






3)防災を最優先の火山学であってほしい

当時私たちが望んでいたのは、防災上、つまり人命最優先での正式な見解でありました。

噴火という事象に対して、専門に研究されている方々からすれば、素人同然の私たちにとって「今後もあるかもしれないから気をつけろ」では、具体的にどうすればいいのかの判断に迷いが出るのは必至であり、最終的な判断を島民みずからに委ねる以外に方策を見出せなかった行政と関係者にとっては、究極的な危険(低温火砕流)が迫るまで適切な避難をさせられずに、都知事の判断でしか島外避難させられなかったことが残念でなりません。

また今後についても私の希望を含めて、若干触れておきたいと思います。

5月28日の予知連統一見解で島民にとっては朗報である「ガスの低下の兆し」について示されましたが、その後はこう着状態に陥ってしまい、依然として高濃度のガスが放出されています。

私たち当事者にとってこれらの情報に一喜一憂する日々を過ごしているわけですが、真に必要なのは、将来に希望の持てるような配慮の加味された見解ではなく、より危機を避けるための、なかば過保護的な防災への配慮を加味したものです。

先ほど来、8月18日の噴火は「緊急火山情報」を出すに値する噴火であったが、その時点では判断できなかったということで済ませていますが、それは人命が失われていないから展開できる議論であって、実際には偶然が重なっての幸運であったわけであります。

この時に雄山中腹の牧場では、多くの牛などの家畜が命をおとしました。
その都の資料映像を、私はなかば無許可で報道に渡して放映させました。
これが人命だったらという危惧が私にあり、おとがめ覚悟で決行しました。

この時点で、なぜ人命が最優先された判断ができないものかと思ったものです。


火山学が発達しなければ、防災に役立つようにはなれないわけですから、火山学の発達を心待ちにしています。 しかし、火山学が発達するだけに安心していてもらっては困ります。
火山学界は、火山学を発達させたら、ただちにそれを防災に使えるように、社会に還元してほしいと、素人ながらに願っています。

限られた時間であり、また慣れない形での私のつたない話でありますので、意をおくみ取っていただきたいと思います。